[ 「サークル」から新星!小林香菜代表へ名乗り ] ゴール直後、小林は倒れ込んだ。起こされると、
両手で顔を覆う。涙があふれた。「日本人1位になれるなんて…。実感なくて、訳が分からない」。
喜び以上に、戸惑いが大きかった。15キロ地点の給水所でアクシデント。ペースメーカーと
右の太ももが接触したが「ダメージはあったけど、落ち着けた。きつさが痛みで和らいだ」とギアチェンジ。
超高速ピッチの独特な走法で、粘り強く、先頭を追い続けた。35キロ地点で鈴木とは34秒差。
ここから1分間のピッチ数が約220歩との特長で差を詰めた。河野匡監督(64)からの指示通り、
中盤までは先頭集団につき、苦手な上り坂で何度も離されながらも前だけ見た。
気付けば40キロすぎで2位鈴木の背中が大きくなっていた。「沿道から『行ける』と言われたので
ラストスパートを頑張った」。残り約800メートルでパリ五輪6位をとらえ、抜き去る。
自己記録(2時間24分59秒)を3分40秒も更新して日本人トップとなった。
社会人1年目の23歳は異色の経歴を持つ。中学で女子3000メートルの群馬県記録を樹立。
1位が小林で2位が1歳下の不破聖衣来(拓大4年)だったほどだが、高校で伸びず、
早大では体育会の競走部ではなく、ホノルルマラソンの完走を目指すサークルに所属した。
4年時にホノルルを完走することが最大目標、という団体。活動自体は週1回皇居ラン(約5キロ)
2周と「緩かった」が、徐々に「高校で結果を出せなくて心残りがあった。速く走りたい」と
思いが強くなった。「競走部は女子が少なくて、駅伝ができなくて。でもトラックよりマラソンを走りたかった」。
競技者として再燃。大学3年だった23年大阪国際女子で2時間36分54秒の21位に入ったことを転機に、
実業団入りを志して就活。河野監督に直談判して内定をつかんだ。独特なピッチの速い走法は
「中学から、この走り。自分では普通に走っているつもり」で自然体だ。入社1年目で
「自分でも成長の要因は分からないんです」と初々しいが、入社当時から「マラソンで世界舞台を走りたい」
思いを持ち続けてきた。「日の丸を背負って、世界を走りたい。そこ(28年ロス五輪へ)に向けても
頑張っていきたい」。女子マラソンのニュースターになる。
◆小林香菜(こばやし・かな)群馬県前橋市生まれ。中学で水泳部に入部も2年から陸上部に途中入部。
3年時には女子3000メートルでジュニア五輪に出場した。埼玉・早大本庄高を経て早大に進学し、
サークルの「ホノルルマラソン完走会」「山小屋研究会」に所属。マラソン初挑戦の21年富士山マラソンでは
3時間29分12秒。フルマラソンは今回8度目。154センチ。(日刊 2025年1月26日 20時52分)
異色の経歴ではあるが進学先の高校が埼玉県内でも難関校として知られる高校。
本庄早稲田(駅)の辺りだろ?
その高校に入学して卒業したという頭の良さがある意味で武器になる。
以上。