そう言えば年末年始の多忙がようやくひと息ついたので【推しの子】の原作を最終回まで読破していた。
(●▲●)「何このオチ(ドン引き)」
(●▲●)「アクアくんがかわいそう」
(●▲●)「ひでぇオチ」
(●▲●)「やっぱ赤坂アカさん『赤坂バカ』に改名した方がいいんじゃねぇか?」
自分がハピエン厨だからというのもあるけどひっでぇなコレ。
やっぱ(新潟県)佐渡市出身だからなのか最終回はとてもサディストな発想の元に発案された内容でした。
(●▲●)「このサド(佐渡)野郎が」
2024年10月21日(月)覚書 (+18:36)
最終回の内容としてはこれまでの惨劇やミステリー要素がきちんと説明された上で
「これはフィクションです」「だって最初にちゃんと言ってたじゃん、フィクションだって」とした上で
急に「テレビの画面越しに見てるような映像効果」がもたらされ、映像と音声を見聞きしている
アイちゃんとカミキ夫婦、それにルビーちゃんとアクアくんという親子の組み合わせ。
それと同居というか同じ場所でそれらを見ているゴロー先生とさりなちゃん、で、その2人の間にも子供が…。
というような形で生まれ変わりの前後となる人物が夢や妄想ではなく現実として同じ空間にいる描写が入り
実はさりなちゃんは死んでなどおらず、もちろんルビーちゃんに生まれ変わる事もなく。
さりなちゃんがルビーちゃんに転生したとかいうのは劇中劇における架空の出来事であり
本当はさりなちゃんはその後回復してゴロー先生と結ばれて家庭を築きましたといった内容の説明が入り
例えば「東京ブレイド」は劇中劇の中の劇中劇、というマトリョーシカ的なものでした、となるような流れに至る。
実はアイちゃんは死んでなどおらず、劇中劇における架空の出来事であり
本当はアイドルを卒業後、仲むつまじく円満な家庭を築き上げておりましたといった内容の説明が入る。
生まれ変わり前の2人(さりなちゃんとゴロー先生)と、
生まれ変わり後とされていた2人(ルビーちゃんとアクアくん)が夢や妄想ではなく
物語の中の現実として同じ空間にいる、という描写が入る事で「登場人物をモデルにした長い長い劇中劇」
であった事を示唆する内容に(自分だったら)する。
…と書いた。
つまり一連のお話はドラマの中のドラマを、ドラマの中のドラマと勘づかせない様にしながら描写。
最後の方でテレビ画面越しに見ている様な効果を作画にもたらした上で「内容を見ている誰か」の描写が入る。
実は作中の登場人物をモデルに脚本を起こした内容がこれまでただ展開されていただけで
実は死んでいたのは「作中の物語の中でだけ」であって実際のモデルは死んでなどおりませんでした。
アクアくんにルビーちゃん と ゴロー先生にさりなちゃん と アイちゃんとカミキが同じ空間に同時に存在した
場面を描写する事で「実は『物語の中の物語』でした」として話を終幕にまで一気に持っていくわ。
以上。